図書館へ行った。

 

森見登美彦の恋文の技術がお目当だったけれど夜勤明けの睡魔に襲われてあまり捗らなかった。

まともに本を開いていたのは最初の30分くらいで、あとは居眠りの合間にページをめくるような感じだった。途中でいびきを注意されてような気がするけれどもよく覚えていない。もしかしたら夢だったかもしれない。

 

図書館は8時で閉館なのでアルバイトの始まる10時まで金がかからないで居眠りできる場所を求めてウロウロしている。

 

ここ一年くらいはいつも眠たいし、いくら眠っても眠り足りない気がする。

ぼくの精神衛生がたかだかアルバイトなんかのせいで乱されてることは明白だし、それは由々しき事態だけれども、仕事の楽さと天秤にかけて特に対策を講じずにいる。

 

次のあてがあるわけではないし、ぼくは何者かになりたかったが何になればいいのか自分でも分からない。

 

強いて言うなら詩人か高等遊民、でなければ何にもなりたくない。

 

 

暖かい日の昼下がりは眠たい

暖かい日の昼下がりはつい眠くなる。

 

休みの日の昼間はもっぱら競馬か、布団に転がりながら音楽を聴いていたり、ツイッターや動画を眺めている。

 

文化系ワナビーのくせに文化的なものとはとても言えないような休日の過ごし方で、そんな休みを1日過ごすごとに頭がどんどん弱くなっていくのを感じる。けれどもまるで坂を転がるようにぼくは今の生活に依存しているし、なにより眠気に逆らわずに眠ってしまうのはとても心地いい。

 

ちなみにこの文章は9時に起きてから布団で1時間ほどぐだぐだした後に近所のドラッグストアでカップラーメンとカルピスソーダを買って飲み食いして、

シャワーを浴びてからふかふかの布団で横になりながら書いている。時刻は3時。

 

きっと明日には後悔してる何もない休日が今だけは素敵に映るのはぼくの手の中にあまりに何もないからなのか。

 

 

 

 

丸めて投げ捨てられた馬券に自己投影する

ぼくのバイト先のある街はギャンブルのできる施設が多い。

 

競馬、競輪、パチンコ、スロット、競艇、なんでも一通り揃っている。

 

生活はだいたい何にたとえても違和感がないので、落ち込んでる時は場外馬券売り場の隅に丸めて投げ捨てられた馬券がぼくの象徴であるような気分になって来るし、気分がいい時は500万下のレースを制した5歳馬の猛烈な追い込みに自分を重ねたりする。

 

現実世界のいいところはそんな風に出会った何かを示唆するような出来事は何ひとつぼくの行く末や心情には関係ないところだけれども、賭け事に負けて眠るために入った漫画喫茶の天井をぼーっと眺めていることにすら何かを感じてしまうのはぼくが自分自身をまだ物語の主人公だと信じているからなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

放蕩の限りを尽くしているぼくは文章を書いてみることにした

ぼーっとTLを眺めていると「小説家になりたければ毎日原稿用紙一枚分の文を書け」という内容のツイートが流れて来た。

 

小説家志望というには他の真面目に小説家を志している人に失礼だが、文を書くことには興味があったし、物書きという看板はぼくの目には魅力的に映った。

 

ぼくは文化人ワナビーだし、何よりも放蕩しながら物を書くような人物へ憧れがあった。

細長い二文字なら最高だ。

 

ぼくは現在雀荘で働いていて、休みの日はもっぱら競馬ばかりしている。二十代も半ばに差しかかろうというのにもかかわらず先の見えないフリーターだ。

 

そんな生活に垂らすエッセンスとしては、物を書くということはまるで南瓜とほうとうみたいにしっくり来る気がした。

 

めんどくさがりな性分だけれどもぜひとも物を書くということで曇りっぱなしの平凡な毎日に風穴が空けばいいなと思う。

 

そんなわけで、放蕩の限りを尽くしているぼくは文章を書いてみることにした。